ももかです。
高校生のとき適応障害と診断されて4年間精神安定剤を飲みながら、心療内科に通院しました。
そして知りました。
病院は、薬で症状を消してくれても、生きづらさは消してくれない。
精神医療は座敷牢から始まった
あんまり詳しくなんですけど、昔は身内で心を病んでおかしくなった人は、家の座敷牢に閉じ込めていたそうです。
外に出したら家の恥だから。
触れたくないから。
見たくないから。
…理由はわかりませんが。
それがだんだんと、病院が請け負うようになったそうです。
心に病名をつけて薬で治す?
心に病名をつけて、○○障害とか○○症候群とかつけて、その症状が「問題だ」とするのって、輪を乱されると不都合な人たちの見方だと思うんです。
魔女狩り的なね。
集団生活を送るうえで、その組織を統率したい人が、「扱いにくい」から、専門家のお墨付きで病名をつける。
みんなと同じことができない人も、「私は病気だからだ」と、がっかりと同時に納得しちゃう。
心が病気ってなんなんだろうね?
社会全体で、都合の悪い人を排除しているようにしか見えないのだけど。
そして、何でも薬で治そうとするのも、あまり好きじゃない。
辿り着いたのはタイプ論
最近やっとやっと活路が見えてきて。
人と一緒に生きるうえで、相手との違いを知ることがとても有効でした。
なぜ、受け入れてもらえないのか。
なぜ、怖がられてしまうのか。
それは【お互いの持っているものを知らない】から。
気質と性格の違いは、私が高校生の頃から興味のある問題で。
「Aさんがいつも文句を言うのはなぜ?」
「Bさんがいつも自分を責めるのはなぜ?」
「CさんとDさんの価値観の違いは何?」
と、不思議で不思議で。
ひと言で表すなら【人格が形成される過程】に、ものすごく興味があって、それを体系化するのが好きなんですよね。
人と関わりたいからではなく、人がわからなすぎるから、知りたかったんです。
だから、大学で心理学を専攻して、たくさんカウンセリングを受けて、セラピストのディプロマも取って、追求してきました。
それで、辿り着いたのが性格分析やタイプ論です。
病名があるから病人が増える
これも、何かで見ました。
ある病名ができると、途端にその病気の人が増えると。
目に見えない『孤独』や『不安』は、名前をつけて陽の目を見ると、たとえネガティブな表現でも安心します。
とくに、集団に馴染めない人は、名前がつくと自分を表現してもらえたようで、ホッとするんですね。
だから、「それは、あなたの性格の問題だよ」と言われると、どうしたらいいかわからない。
向き合うのが怖い。
だって、いま現実が上手くいかないのは自分のせいってことになるから。
それでも私は。
社会で生きていくために、性格分析から能力を見つけるやり方を追求していきたい。
いまは、人と関わっていくために、研究をしたいと思っています。