ももかです。
今年はずっと、社会の中でどうやって生きていけばいいのか。
私は誰のために何ができるのか。
そんなことばかりを考えていました。
そして、人と関わるときの拘りに気づいたんです。
誰とでも仲良くできる自信があった
振り返ってみると、小さい頃からいつも友達と一緒にいて。
ひとりで遊ぶことってなかったんですね。
いじめられることも、ハブられることもないし、友達と遊ぶのが自然で普通でした。
嫌いな人っていなくて。誰とでも仲良くなれると思ってたんです。
小学生のころから、なんとなく【グループ】に所属するのが嫌で。
クラスの中心グループの子と仲良くやりながら、隅の方で漫画書いているような子とも遊んでました。
中学生になると、学年中の女子から嫌われている女の子とも、「気にしなくていいよ!一緒に遊ぼうよ!」って言って、一番の親友になりました。
高校生のころは、自分が心療内科に通いながらも、心が不安定になった友達をトイレでずっと励まして、学校に居場所ができるようにしていました。
「みんな」の規模が大きくなって挫折
私のいた小学校と中学校は、生徒数が少なかったので。
小学校は1学年60人くらい、中学校は80人くらいでした。
だから、中学までは「学年で嫌いな人がいない」と思ってて、自分の学年全体で一体感を感じていました。
それが高校生になると、1学年300人弱の規模になりました。
正直、高校の頃の記憶はあまりないんだけど。
この記事を書くにあたって、10年ぶりに高校の卒アルを見たら、陽キャにも陰キャにもなれず、迷走している私がいました(;´Д`)
「みんな」の規模が大きくなって、まさに【適応障害】になりました。
病んだ原因の1つに規模が大きくなったことがあると思います。
社会はもっと意味不明
社会に出て仕事をするようになって、もっとわからなくなりました。
本音と建て前?根回し?
パフォーマンスで怒る?評価のために資料作る?
意味不明です。
「何のためにやるんですか?」
「なぜ必要なんですか?」
「誰が求めてるんですか?」
って、本当は知りたかったけど。
不満とか相手が嫌いとかじゃなくて、ただ理由と目的が知りたかったんです。
だけど、そういうものなんだと言い聞かせて、必死に同じようにやろうとしていました。
小学校の算数と一緒。「公式覚えればいいのよ、そういうものだから」そういうもので片付けられるのが一番いや!
23~24歳のころは、部署間の連携とか、会社の方向性を実現するために、仕事を進めていたのだけど。
自分の評価のために部下を利用している上司とか。
上司の前では「もちろん!やります!そうですよね!」と元気に答えるのに、いなくなったら「できるわけねーじゃん。めんどくせー」と態度が変わる先輩とか。
そういう器用に乗りこなす人もいれば、まじめ過ぎて抱え込んで苦しんでいる人もいて。
なんで、みんな同じように一つの方向を向いて協力できないんだろう?
会社ってそういう場所じゃないの?
みんなが同じくらい楽しんで、笑っててほしいのに。
会社なんて箱だけで、夢を語るのは説明会のときだけじゃん。
中身は損得で牽制し合って、面倒をいかにかわすかを考える人たちばかりじゃないか。
そうやって、私はいつの間にか、社会に絶望していたようです。
それでも社会で生きていく
社会に絶望している自覚なく、何度も「もうやだ!ひとりでやる!」と、集団から外れようとしましたが。
いつのまにか、チームを作ったり、協力してくれる人が現れたりして、ひとりになれないんですよね。
それでやっと、気づきました。
私は社会で生きていくのだと。
だから、ひとりひとりの価値観の違いを知る必要があったのだと思います。
社会の中で、誰のために何をしていくのかを見つけるために、必要な経験だったのだと。
誰とでも、みんなが同じように、というのは現実的ではないとわかりました。
だって価値観や性格が違うから。大切にしたいものが違うし、嫌だと感じることも違う。
当たり前なんだろうけど、この歳になるまでわかりませんでした(/_;)
「みんな」を少しずつ広げられるように、コツコツやっていこうと思います。