※ひたすらネガティブな気持ちになります。閲覧には注意してください。※
前回の記事の続きです。
初めて心療内科に入ったときの感想は「普通の病院と変わらない」でした。
受付を済ませ、待合室で順番を待つ。
他の患者さんも、ぱっと見どんな症状なのかわかりません。何も言われなければ普通の人と同じ。
問診票で大量の質問に答えて、精神状態をチェックされます。
名前を呼ばれて診察室に入り、先生に症状を伝え、私は『適応障害』と診断されました。
適応障害の治療
病院へは、月に1回通いました。
夜眠れるようになったか?学校はどうか?
そんなことを先生に報告します。
症状は、回復したと思ったら、またどん底な気分になったり。
風邪のように「薬を飲めば、次の日には元どおり!」とはいきませんでした。
薬の副作用で、ダルイし、ねむい。
朝起きても体に力が入らなくて、ソファーから動けないことも頻繁にありました。
教室にいられない
担任の先生と、本当に仲の良い子だけ、病院に通っていることを伝えました。
学校生活で特に辛かったのは、教室にいることです。
閉ざされた空間で、生徒がギュウギュウ詰めになっている。
逃げ場がないと思うと、体が爆発するような衝動にかられて、教室から飛び出してしまうこともありました。
そして、保健室に駆け込んでベットで休む。
落ち着いて教室に戻れれば良い方で、そのまま早退するパターンが多かったです。
この衝動がないときも、胃痛で保健室に行ったり。
朝起きれなくて、遅刻したり。
学校へ行くけど、教室に入りたくなくて、誰も来ない校舎裏のベランダでぼーっと空を見ていたり。
とにかく、何もなく1日学校で過ごすのが困難でした。
おかげで、まともに授業を受けることができず、勉強はもっとついていけなくなりました。
通院終了…だけど
なんとか高校を卒業し、大学に進学すると症状は徐々に回復していきました。
心理学を専攻したので、人に興味のある穏やかな友達がたくさんできたからです。
大学の教室はとても広いし、席も自由です。
学びたいと思った科目を自由に履修できる点も、私にはすごくあっていたようです。
そして、4年間の通院生活を終わらせる決意をしたのです。
ちなみに、通院が終わってから、すぐにバラ色の人生になったか?というと、まったくそんなことはありませんでした。
社会に出てから何度も
「まだ治っていないのか。」
「一生、適応障害と付き合っていかなきゃいけないのか」
と思うような出来事がたくさんありました。
なぜなら、
上司が変わった
部署が変わった
というだけで、知らないうちにストレスをため込み、メンタルがやられてしまうからです。(のちに、これはHSPの特性だと知りました)
残ったトラウマ
最後に、今も残っているトラウマの話です。
ジャケットやスーツを着ると、制服が連想されて、息ができないくらい苦しくなります。(ブラックな営業会社の影響もある)
通勤ラッシュでスーツを着た大群が押し寄せてくると、身動きが取れない教室を思い出して、発狂したい衝動にかられます。
過呼吸の発作も、閉鎖された空間(個室やお風呂など)にいると起きやすいです。
抗不安薬と同じ効果を求めて過食の量が増え、甘いものが手放せなくなりました。
本音

今、あの頃を振り返ると。
4年間も精神安定剤に頼らず、もっと他の治療方法を探して、途中で病院を変えていたら、こんなに後を引かなかったのかなと思います。
目で見える症状がなくなることと、生きやすくなることは別問題だとわかったからです。
それでも、心療内科に通う経験が、私の人生でどんな意味があったのかなと振り返ると、
私はたくさんの人に助けられ、支えられて生きていく。
人よりできることもあるし、できないこともある。(これが超極端)
ということを、学ぶきっかけだったのだと思います。
今、通院中の方、病院に行こうかな?と考えている方、何か参考になれば嬉しいです^^
シリーズー終ー
<2020年追記>
このシリーズは、いま悩んでいる人の【1m先】を照らすことを願って公開しました。
数年後の未来なんて、とても想像できないと思うから。
「いつか必ず」という言葉も軽はずみな気がするし。
でも、1m先なら。少しだけ、薄っすらでも、明るくできるかもしれない。
そう思って、私のアウトプットも兼ねて。