転職ジプシー時代の話

4年で生きづらさから脱却〜HSPHSSの物語①「自分を変える決意」

あなたは、人生楽しんでる?

毎日心から笑ってる?

いま、生きてるって実感できる?

4年前の私は、何ひとつ当てはまらない状態だったの。とにかく生まれてからずっと生きづらかった。

だけど、今は全部に当てはまる。

当時の自分では想像もつかないくらい悩むことが減ったし、心から笑うことが増えた。

HSPHSS気質を活かした働き方もできるようになった。

そこで、4年間私が何を考えて、どうやって行動したのかについてシリーズでお話していくね。

HSP気質だとわかったけど、具体的に何をすればいいの?

と思っているHSPHSSへ。ヒントが見つかれば嬉しいな。

ずっと生きづらくて苦しかった

2015年の日記には、必死にもがいている私がいた。

「頭でっかちな自分が嫌い」

自分に素直になると周りを振り回してしまうのでは!?変人だと思われるのでは!?

「落ち着く」っていう感覚がわからない。私は、何をしている時が落ち着くんだろう?

2015年の日記より

理由はわからないけど、なんだかとても生きづらかったの。

4年経った今。Twitterはフォロワー1,000人を超え、毎月カラーセラピーを実施している。

ブログやLINE@には、たくさんのHSPからメッセージをいただく。

諸々の借金も年内に完済の目処がついた。7年以上続いた非嘔吐過食の症状も、ピーク時の8割ほどに改善している。

好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと…そして、これからどうしたいのか。

4年前には全くわからなかった、「自分自身」に関することが、今では躊躇なく人に話せるようになったよ。

生きづらさの中で自問自答を繰り返し執着を手放して、どんどん身軽になっていったの。

気づいたら、やりたいことをマイペースに実現できるようになったよ。

年表:生きづらさから解放されるまでにやったこと

生きづらさから解放されたくて、思いついたことは全部行動に移してきたの。

時には、想像を超えたアクシデントにも遭遇した。詳しくお話する前に、全体像をわかりやすく年表にまとめたよ。

2015年4月某アパレルブランドのサブ(副店長)になる
2015年7月アダルトチルドレンのカウンセリングを受ける
2015年12月フリーランスになるための情報収集を始める
その一環でカラーセラピーを受ける
(半年に1回定期的に受けるようになる)
2016年8月会社を退職しイメージコンサルタントとしてフリーランスになる
2017年5月家族に「しばらく連絡しないし、会わない」と宣言する。
その後、学生時代から書いていた日記の内容をブログに公開し始める
2017年6月HSPカウンセリングを受ける
その後、時田さんのブログに出会い「私はHSPHSSだ!」と衝撃を受ける
2017年7月
HSPHSSに関する記事をブログで公開し始める
家族と再会しカフェで号泣する
2017年8月リボの支払い残高、キャッシング、講座費用の返済総額が200万を超える
2017年9月家賃が払えなくなり、一人暮らしをやめて実家に帰る
2017年10月派遣事務として働きながら、毎日ブログを更新し続ける
※事務未経験だったので短期でスタート
2018年2月
Twitterにて「言葉セラピー」としてHSPHSSのための言葉を配信し始める
2018年7月HSPHSSカラーセラピーを始める
2019年1月HSPHSSの仕事に特化したブログにリニューアル
2019年2月Twitterフォロワー1,000人突破

(※イメージコンサルタント時代の話はここでは省略)

振り返ってみると、ターニングポイントが2回あった。

  1. 家族との連絡を絶って、自分に集中する期間を作ったこと
  2. 家賃が払えなくなって、一人暮らしをやめたこと

何かを取り入れよう、改善させようとするよりも。「やらなきゃ」と義務感で続けていたことをやめたとき。

その後、大きく流れが変わって新しい価値観を獲得することができた。

このシリーズでは、2回のターニングポイントの話を中心に、事前の行動や心境の変化などを詳しくお伝えするね。

アダルトチルドレンのカウンセリングを受ける

2015年、私は自分を変えると本気で決意したの。

きっかけは忘れちゃったけど、ちゃんと自分と向き合おうって決めたんだよね。それで、アダルトチルドレンのカウンセリングを4回ほど受けた。

当時はHSPに関する情報が全然なくて、ネットの記事も10個くらいだったの。

既にHSPやエンパスという言葉は知っていて、「私はHSPなんだなぁ」くらいに思ってた。

再びカウンセリングを受ける屈辱

まず、再びカウンセリングを受けること自体私には屈辱だった。

ももか
ももか
私の心は病んでないもん!ひとりで生きていけるもん!

私は普通の人でいたかったの。

普通に仕事して、普通に遊んで、普通に恋愛して、普通に結婚する。

みんなと同じように。

それなのに。大学2年生で4年続いた心療内科の通院を終わらせたのに、またカウンセリングを受けるなんて。

普通の人はカウンセリングを受けない。

心の弱い人間だと認めることになると感じていたから、再びカウンセリングを受けることは屈辱だった。

だけど、自分と本気で向き合うと決めたから。

人には絶対話したくないと隠してた気持ちを打ち明けることにした。

あえて男性カウンセラーを選ぶ

アダルトチルドレンのカウンセリングを受けるときに、男性カウンセラーにしようと決めたの。

理由は、

  • 苦手な父親を攻略する方法を見つけたかったから
  • 男性に弱音を吐いたり相談することができなかったから

この2つの目的があったから。

薬物療法は副作用が嫌だったから、認知行動療法を実施しているところを探して申し込むことにした。

と言いつつ、実は夜中にベットでゴロゴロしてたら突然いつもの不安が押し寄せてきて。

「私もう無理だ!」って半分パニック状態になり、すがる思いで申し込んだ。

3ヶ月間毎日「行動」に対する「感情」を記録し続けた

アダルトチルドレンのカウンセリングでは、物事の見方(認知)とそれに対する行動を客観的に観察して修正してきく、「認知行動療法」を行ったよ。

月に1回カウンセラーと話して、最後に宿題が出されるの。

具体的には、

  • A4の紙に表が書いてある
  • 毎日の行動を時系列で記入する
  • 行動に対する自分の感情を記入する
  • 感情の度合いを0%〜100%で記入する

これを3ヶ月くらい続けた。

自分の感情がわからない

初診でアダルトチルドレンと診断された私。最初にカウンセラーから、

カウンセラー
カウンセラー
アダルトチルドレンのテストを受けてみて、どうでした??

と聞かれたときに、30秒くらい答えが出てこなかった。

「どうでした?」っていう質問すごく困るよね。普段の生活で目の前に起こることに対して、自分がどう感じているかなんて考える習慣がないから。

他人や状況に対して考えていることの方が、ずっと長い。

「前の席の同僚は、すごく焦っているんだろうな」

「友達のA美は、仕事がつらいと言うけれど本当は楽しいんだろうな」

「この人がカウンセラーをやっているのは、過去の〇〇という経験からつながっているんだろうな」

こんなことを、ずーっと考えている。

自分の気持ちが「どうか」なんて、考えたことなかった。考えてないこと自体気づかなかった。

カウンセラーの男性は、なかなか言葉が出てこない私に向かって

カウンセラー
カウンセラー
自分の感情を話すまでに、すごく時間がかかりますよね。これは、アダルトチルドレンの特徴です。

と説明してくれた。

カウンセラーに指摘されて初めて、自分のことを話すのが苦手な原因がわかったの。

自分の話が苦手

そもそも、人と会話してても「自分に関する話」が苦手だと感じてた。

  • 住んでる場所
  • 学生時代の部活
  • 家族構成

こういう基本的な情報でさえ、話すと何かが暴かれてしまうのではないかという不安があったの。

他人のことなら言葉が溢れてくるのに。つまり「あの人は〇〇な性格で、××なこだわりがある。」という分析結果ね。

自分のことになると、頭が真っ白になる感覚。フワフワした雲のような感じで、頭の中にイメージが浮かぶのに、口にしようとすると言葉が浮かばない。

だから「行動」と「感情」を結びつける宿題を試したとき、始めはすごく時間がかかったの。

宿題で渡された紙には、表の隅に例があって

  • 嬉しい
  • 悲しい
  • 寂しい
  • 不安
  • 焦り
  • 怒り
  • 安心

など、感情を表す言葉がたくさん並んでた。

だけど、

ももか
ももか
不安、焦り、寂しい….何それ、食べ物の名前?感情を感じるってどういうこと??

本気でわからなかったの。言葉の意味すら理解してないのに、0%〜100%で度合いを決めなきゃいけない。

ももか
ももか
感情を数値で表すの?全部同じくらいじゃないの?違いが全然わからない。全部100%にしとこうかな。

だから最初は、かなりいい加減に記録してた。

今は感情にもグラデーションがあるって理解してる。

例えば、「怒り」が赤なら、赤黒い濃さなのか、夕暮れの朱赤なのか。

「安心」がピンクなら、サーモンピンクなのか桜ピンクなのか。はたまたラメが入ってキラキラしてるのか。

こんな感じで、「怒り」や「安心」にもグラデーションがあることがわかる。

当時の私にとって感情とは、原色をベタ塗りしただけの1パターンしかないと思ってた。

苦手な父親に「感じてたこと」を手紙にして渡す

「行動」と「感情」を結びつける練習をしばらく続けながら、父親と向き合う練習もした。

カウンセリング中ちょうど父親の誕生日だったから。ずっと感じてたことを手紙に書いて、プレゼントと一緒に渡したの。

私が高校生の頃、あるきっかけで父親が苦手になった。今も目を合わせて会話することができない。

だけど、本気で自分を変えると決意したから。今まで「苦手だから」と避けてきたことにも正面からぶつかっていく覚悟だった。

高校生のとき、父親に対して何を感じてどうして欲しいと思っていたのか。

そして、今の私の気持ちも。

私が家族を幸せにしなくちゃと思ってた。私が気を使わなきゃいけない、私ばかり我慢しているって。

もう気にしなくなった。自由に振る舞った。不安なことも、大好きということも伝えた。

なのに、

「寂しい思いをさせてない?怒らせてない?」って顔色を気にしちゃう。

2015年の日記より

父親は手紙を読んでくれたみたいだったけど、コメントはなかった。

だけど、プレゼントを今でも使ってくれているの。それだけで十分気持ちは伝わったよ。

正直今でも父親は苦手。だけど、もうそれでいいと思ってる。

苦手な人から逃げずに気持ちを伝える

父親へ手紙を渡すことで、苦手な人からも逃げずに正面から気持ちを伝えることができると学んだ。

それまで、親は得体の知れない人物たちだと思っていたけど、ただの人間だったこともわかった。

家族とのモヤモヤに立ち向かってから、自分の心がどんどん変わっていく。

目を背けたくなる問題にきちんと向きあったことで、自分に対しての理解も深まった気がする。

なぜこんなに不安だったのか。なぜあんなに自分で自分を傷つけていたのか。なぜ自分を犠牲にしていたのか。

自分で自分がわからないから不安になる。

体の声を聞こうと内側に意識を向けると心の声も聞こえてくる。否定も肯定もせず、ただ感じる。そこにある状況を捉えるだけ。

私は私が好き。面倒なところも真面目なところも優しいところも向上心があるところも。

いいところも面倒なところも全部。

私は私の味方だから。

2015年の日記より

人間同士の摩擦を恐れずに、勇気を出して気持ちを伝える。

この経験が、巡り巡って自分を大切にすることを教えてくれた。

HSPHSS気質について深く理解する前に、私は自己肯定感の土台を築いていたみたい。

まとめ

今回から、私が生きづらさから解放されるために何をしたか、シリーズでお伝えすることにしたの。

過去の日記を改めて振り返って年表にしてみると、短期間に色々挑戦していたんだなと思った。

個別セラピーのお悩みでも、「自分で自分のことがわかりません」というHSPに出会う。

私は今でこそ、ブログが好き!スーツが嫌い!って、自分のことをパパって人に伝えられるけど。

ほんの4年前は、「感情って、いつ・どうやって感じるの?自分のことを人に話すことができない。」っていう状態だった。

このシリーズを読めば、あなたも生きづらさから解放されるよ!

とは断言できないけれど。(最終的には本人の決意次第だし、環境やタイミングもあるしね。)

生きづらさで悩んでいるHSPの参考になれば嬉しい。