こんにちは、ももか(@momohsphss)です。
私は2年半以上前に、仕事優先の生活を見直して、プライベート重視の働き方に変えました。
「仕事に依存する状態から抜け出したぞ!」と思っていたのですが、まだワーカホリック的な思考が残っていたようです。
社会人になってからずっとある感覚で、自分がやっていることを『仕事』だと認識した瞬間に、突然窮屈な息苦しさを感じるんですよね。
この窮屈な感じを深掘りしたので、ご紹介します。
仕事すると「できる子」になれる
とっくに仕事依存からは抜け出したつもりでしたが、まだワーカホリック的な思考に囚われていたようです。
仕事って、魔法みたいじゃないですか?
みんなが自分を肯定してくれて、「できる」ことを証明するために使う手段としては、とても有効です。
私は高校生のとき、中学まで自信のあった、部活、勉強、容姿、コミュ力…全部が通用しなくなって、学校に通えなくなって「できない」ことに悩まされたんですよね。
そんな私を再び「できる子」にしてくれたのが、居酒屋のアルバイトでした。
(心療内科通いながら居酒屋でアルバイトする女子高生。笑)
今振り返ると、この頃から働くことにのめり込んでいったようです。
求められる振る舞いをして、相手の期待通りか、それ以上のアウトプットをして、「すごいね」とか「ありがとう」とか言われることに、大きな価値を見出したんです。
相手が自分にどんな振る舞いをして欲しいのか、なぜかわかってしまうので、期待を裏切って怒らせるのが怖かったんでしょう。
そうやって、自己肯定の手段として仕事を使うようになり、高校生の頃からハードワーカーになりました。
父への当て付け
私の仕事観は、父の影響を強く受けています。
同じHSS型HSPで、性格も似ていて、就活の時期になると、夜な夜な「どうやって働いたら社会で成功するか」の講義を受けました。
でも、私は父が嫌いでした。
家庭内で起きたトラブルが原因で、どう接したらいいかわからかったんですね。
そんな状態で、私の将来や働き方にアレコレ口出しをしてくるので、心の奥底で「見返してやりたい」という感情が渦巻いていたんだと思います。
小さい頃は大好きだった父を、ある時期から全く別人のように感じ始めて、そんな関係が実はとても寂しかったのだと。
寂しさや悲しさは、「出世して、すごい仕事して認めさせてやる」という憎悪になってしまいました。
新卒時代に、役職をもらうことに躍起になっていたのも、社長に憧れてフリーランスになったのも、要するに、父に対する当て付けだったんです。
当時は、そんなこと微塵も頭にありませんでしたが。
仕事をしない私には価値がない
自力で色々解決してからも、ずっと拭えず心の片隅にあった気持ち。
仕事がなければ、私はこんなに苦しまなかったのに
仕事を自分らしくいられる手段として使うなんて、考えていませんでした。
頭では、やりたいことを実現する手段だと理解していたつもりだったけど。
私にとって仕事は、誰かに褒められるため、迷惑をかけないため、父に認めてもらうため、という手段でした。
非嘔吐過食を克服して、寂しさや不甲斐なさを食べ物で代替えすることは、なくなりました。
でも、仕事で代替えようとする思考が残っていたんですね。
仕事をしないと、私の価値がなくなる。仕事したくないけど、仕事しないと認めてもらえない。
でも、仕事は私を傷つける。だけど、仕事しないと私が消えちゃう。
私は使えない無能なやつだという現実を見たくないから、心と体を追い込んで仕事する方を選んでいるんですね。
仕事中毒者と幸せな多忙者の違い
ハードワークでも心身を壊さず充実感を持って働き続ける人もいます。
仕事に依存している人と、充実して忙しくしている人は、何が違うのでしょうか?
過食症は、周囲からは「ただの食いしん坊でしょ」とか「痩せてるより健康的」とか言われて、苦しさを理解されることが難しいです。
仕事依存も同じで、周囲からは「中毒者」と「幸せな多忙者」は見分けがつかないでしょう。
依存とは、本人が対象に苦しんでいて、「やめたい」と思っているのに、強迫的に繰り返してしまうことです。
寝る間も惜しんで働いていても、本人が「楽しいなぁ」「ありがたいなぁ」と肯定的に捉えているなら、幸せな多忙者です。
一方で、「不安」「怖い」というように、否定的な感情を持っているにも関わらず、「離れる方がもっと怖い」という状態なら、中毒者です。
つまり、仕事に依存している、ワーカホリックですね。
私は完全に、仕事に依存しているタイプでした。
これから、改めて向き合い方を考えてみようと思います。