こんにちは、ももか(@momohsphss)です。
この物語は、私が生きづらさから脱却するまでの軌跡をまとめた記事だよ。
今回お話するのは、この部分↓
2017年8月 | リボの支払い残高、キャッシング、講座費用の返済総額が200万を超える |
2017年9月 | 家賃が払えなくなり、一人暮らしをやめて実家に帰る |
諸々の返済が膨らんで200万を超え、家賃が払えなくなり、ずっと続けていた一人暮らしをやめて実家に帰る決意をしたときの話だよ。
家族から離れたくて、就職とともに始めた一人暮らし。実家に帰りたくなかったのに、苦肉の策で出戻ることに。
世間の価値観に流されず、本当に望むものは何かを真剣に考えたの。
本当の私は、仕事ができないと価値がないと言いながら、仕事したくなかったし、稼ぎたくないと思ってた。
前回のあらすじ
HSPカウンセリングを受けるために栃木県へ。
アファメーションを「私には価値がある」と決め、夕日が差し込む電車で帰路につく。
その途中、席を譲った女性から想像以上の笑顔で「ありがとう!!」と言われ、頑張らなくても感謝されるんだ、そのままの私で価値がある、と証明する出来事に遭遇する。
しかし、HSPの儚い繊細なイメージがしっくりこなくて、さらに調べているとHSPHSS研究家の時田さんのブログに出会う。
「私がずっと悩んできたのは、HSPHSSについて発信するためだったんだ!」と、100年の眠りから覚めるような衝撃を受け、ブログにHSPHSSエピソードを書き始めるのだった。
些細なことが気になるから、些細なことで喜べる
HSPHSS気質を受け入れて、ブログに記事を投稿し始めて数日経ったころ、激しい頭痛と胃痛に襲われていたの。
普通なら、何かの病気かと思うとこだけど、このとき私は、「あぁ、やっと体が正常な反応を取り戻した」と思った。
そして、HSP気質の特徴の【些細なことが気になる部分】をポジティブに捉えるようになっていた。
今年はずっとしまい込んで来た、女性らしい部分を意識してきた。
「寂しい、不安、誰かといたい、かまって欲しい」という気持ちを、どう処理すればいいかわからなかった。生まれてからずっと、無視し続けていたから。
今まで「繊細さや敏感さ、嫌なこと、苦しいこと」にフォーカスし続けていた。それは、嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことにも敏感ということ。
だから、楽しいこと、幸せなことしかしたくないと思った。人よりも多く幸せを感じられるということだから。
些細なことで傷つくし、ストレスになるし、疲れるけど。些細なことで嬉しくなるし、楽しくなるし、幸せになるし、元気になるということ。
私はずっと幸せを感じていいんだ。私は毎日、いつも幸せでいいんだ。
「何もしなくていい、そのままでいい」って頭ではわかっていたけど。今までの、頑張っている良い子、できる子でいようとする自分を手放せずにいた。手放したら、何が起こるかわからないから。
私の背中には羽があることをずっと忘れて、過去にしがみついてた。落ちないように、身体中に力を入れてた。
カラーセラピーを受けて、「羽があるなら飛べばいいじゃん。」って気づいた。
今までは、頑張ること、溜め込むことで自分を守ってきたけど。これからは、幸せなことを見つけよう。大きなことじゃなくてもいい。毎日感じられる幸せを探そう。
私は大丈夫だから。人生を楽しもう!
〜2017年6月の日記より〜
HSPは、楽しいことにも悲しいことにも、大きく刺激を受ける。その刺激センサーは、普段から多く使っている感情を、より多くキャッチするようになる。
草むらを毎日歩いていると、道ができるように。ネガティブな情報に集中すると、センサーはネガティブな情報を収集することが得意になる。
逆に、ポジティブな情報に集中すれば、センサーはポジティブな情報を収集することが得意になる。
この仕組みを知った私は、毎日ノートに「好きなこと」「幸せなこと」「ワクワクすること」を書くことにした。
- 雲を眺めるのが好き
- チョコレートが好き
- あったかいお風呂が好き
こうやって、自分のワクワクする感覚や、幸せ!と思うことを日々振り返る癖をつけるようにしたの。
そして、どんどん「自分」の輪郭ができていくことが、とても嬉しかったな。
実家には絶対帰りたくない
就職とともに一人暮らしを始めたのは、家族から離れて自立したかったから。
家族の中で自分だけ浮いた存在な気がしていたし、両親に気を使うのにも疲れていたから、ずっと一人暮らしをしていたの。
「実家に帰ろうか」という考えが、何度も頭をよぎったけど、いろんな理由をつけて帰ることを拒んでいたの。
- 家族がいると、ひとりの時間がなくなる
- 誰かとずっと同じ空間にいるなんて、考えられない
- 田舎に戻ると仕事する気がなくなりそう
- 両親に干渉されたくない
- 毎日家族に気を使いながら生活するなんて疲れちゃう
こんなことを考えて、赤字続きの生活を続けていた。
借金200万、家賃が払えない!!

2017年8月。
私は近所のファミレスにお姉ちゃんを呼び出していた。
家賃払えないし、フリーランスをやめて普通の仕事する。
このとき、浪費癖や、過食の費用、イメージコンサルタントの講座費用などが重なって、収入以上の出費をしていたの。
お金の管理が本当に苦手で、いつも現金が手元に残らないタイプだった。
さらにお金を使うことが怖くて、「使っちゃダメだ!」って思うほど、反動で衝動買いしちゃうのね。
気づいたら、クレジットカードについているキャッシングを利用したり、毎月リボ払いで支払額を減らしてごまかす日々を続けていたの。
ところが、とうとうクレジットカードの限度額に達して、支払いを繰越すことができなくなった。キャッシングの限度額にも達してしまった。
審査のないカードローンを真剣に探す日々が続いて、「とうとうサラ金か…」というところまで追いつめられたの。
家賃が用意できなくて、徹夜でお小遣いサイトのポイントを稼いだり、もがいてみたけど。健闘むなしく、月末が近づいて夜中にコンビニで残高を確認したら、
全財産980円。
「もうダメだ。」と、ようやく現実を受け止めて、お姉ちゃんに相談することにした。
私に合う仕事がわからない、代わりに決めて
現状を話し終えた私は、捨て身の覚悟でお姉ちゃんに聞いた。
もう、私に合う仕事が自分でわからなくなっちゃった。
だから、代わりに仕事を決めて。
このときの私は、もはや自分にできる仕事が何なのかすら、わからなくなっていたの。
私の選択が間違っているのかもと思って、客観的に判断してくれる人に仕事を選んでもらおうと思った。
実は、一生の仕事にしようと思っていたファッションの仕事も、バイトを掛け持ちしながら続けていたのね。
バイトを2つやりながら、イメージコンサルタントの仕事もしてた。
朝から晩まで働いて、1年が過ぎた頃には心身のバランスを崩し始めていたの。
どの仕事を始めるときも、「これが私の天職だ!」「この仕事で輝く人生を送るんだ!」って決意して始めた。
そして、弱音を吐かず愚痴も言わず。怒られないように、失敗しないように。改善点を見つけて工夫して、頭に浮かんだことをどんどん実行していった。
おかげで、どの仕事でも高い評価と信頼を獲得することができた。だけど、評価に反比例するように、私の心と体はボロボロになっていったの。
「仕事」という言葉への違和感
私の中には、ずっと『仕事』という言葉に違和感があった。
学生の頃は、なんかカッコいいイメージで憧れのようなものがあったけど。
社会人になってからは、仕事という言葉を使うと喉の奥がつかえたような感覚を覚えるようになった。
仕事ができない私には価値がないと思いながら、生活のためだけに働きたくなかった。
大学を卒業したら、就職して出世して、1つの会社で長く働いて、毎年少しずつ収入が増えて。結婚して出産して、家を買って、老後は年金暮らし。
っていう、多くの人が選ぶ道が、とても窮屈に思えたけど、その気持ちに気づかないふりをして、みんなと同じような人生を歩もうとしていたの。
バカじゃない?今すぐ解約しな!
仕事を決めて欲しいと言う妹に対して、お姉ちゃんはこう言い放った。
今すぐ不動産屋に連絡して部屋を解約しな!一人暮らしやめるのが先でしょ!!
本当は、誰かに背中を押して欲しいだけだった。自分だけで生活するのが難しいと気付きながら、意地を張っていただけだったの。
お姉ちゃんに実家に帰れと言われて、私はすごくホッとした。
そして次の日、不動産屋に解約の電話をしたの。
仕事したくない、稼ぎたくない、評価もいらない
お姉ちゃんを呼び出す数日前。
好きなこと、ワクワクすることを意識し始めたら、仕事したくなかったことに気づいたの。というより、欲しいものや、やりたいことが思いつかない。
そのことに気づいたきっかけは、新月の願い事を書いていたときだった。
新月の日に書いた願い事は叶いやすいと聞いて、実践しようとノートを開いたのに、いざ願い事を書こうと思っても全然浮かばない。
絞り出して、
- 月収30万
- 好きな時間に自由に仕事する
- タワーマンションに住む
とか書いてみたけど、しっくりこない。
そこで初めて、「自分の意思で何かを手に入れようとしたことがない」と気づいたの。
今まで追い求めていたことは、何一つ本当に望んだものではなかった。
仕事したくないし、稼ぎたくないし、評価もいらない。だけど、
- 仕事ができないと価値がない
- 社会人だから稼がなきゃいけない
- 評価されないと存在しちゃいけない
と思っていたの。
世間の価値観、親の価値観
就職して、評価されて、出世する。
社会人は、仕事で出世して役職に就いて、バリバリ稼がないといけない。
これは、私の父から刷り込まれた価値観で、本当は仕事と考えると苦しくなる。
趣味や遊びの延長のような感覚でいたくて、評価もノルマも考えずに好きなことをして、その結果お金をもらえる方がいい。
振り返ってみると、誰かに反対されても、本当に心から望むものを自力で手に入れようとした経験がない。
いつも(親に)「すごいね」って言ってもらえそうな選択をしてきたし、そこまで自分のやりたいことに正面から向き合ったことがなかったの。
だから、なんとなくみんなと同じことをしていれば安心なんだ、という経験ばかり増えていった。
世間や親の価値観に違和感を抱きながら、考えないようにして「頑張らなきゃ!すごいって言われなきゃ!」ってもがいてたの。
私が本当に望むもの

自分の意思で欲しいものや、やりたいことを決めたことがないと気づいたから。
引っ越しまでの1ヶ月、ひたすら「本当に望むことは何なのか?」について考えてみたの。(家賃はお姉ちゃんに借りて、支払うことができた)
出てきた答えは「生活の心配をせずに、ブログを書きたい」だった。
すごいと言われなくてもいい、誰からも評価されなくてもいい、変なやつと思われてもいい。
たったひとりでも、私の書いた記事で心を動かすことができたら・・・
書くことで、自分を表現したい。
これが、私が本当に望むことだった。
私が本当に望んでいたことは、自分に合った職業に就くことじゃなかったの。
もっと、些細なことで、でもとても大事なこと。私にとっての幸せを書き出したら、「仕事」や「職業」が全然出てこなかった。
自分らしく自然体で笑いあえる人と、楽しい日々を過ごすこと。
毎日些細な幸せを感じながら過ごすこと。
誰に何と言われても「好き!」と思えることを、満足するまでやること。
結果的に、誰かの力になれること。
私が私らしくいられること。
そう、私が本当に望むものは職業に当てはまらない。
職業探しをやめた
本当に望むものを見つけたら、「職業」に対するこだわりがなくなったの。
だって、私がやりたいことはひとつの職業では表現できないから。
あえて言うなら、人生を楽しむ!!!ってことだけ。
ライターでもブロガーでもセラピストでも、私がやりたいことができていれば、呼び名は何でもいいの。
唯一条件を挙げるなら、正社員にはなりたくない。ずーっと同じところで延々と働くと考えると窮屈だから。
私は自分が本当に望むものを認めて受け入れることにしたの。そして、実家に戻る前に派遣会社に登録して、新しい仕事を決めた。
まとめ
些細な幸せを探そうとワクワクすることに意識を集中させたら、一人暮らしをやめることになった。
本当にやりたいことを続けられることがイチバン大事だと思ったから。
今の私は、何をするにも好き嫌いで判断する。(やりたいか、やりたくないかの場合も)
最近は、さらにレベルアップして「私は好きじゃないけど、相手が好きなことに合わせる」っていう練習もしてる。
そして、結果が保証されていない挑戦に対して、真剣に向き合うようになった。地道な努力ってやつね。
本当に望んでることを明確にして、自分にとって何が幸せなのかを見極める。
ここで、あなたも自分に聞いてみて。
あなたが望んでいるのは職業なのか?仕事じゃなきゃダメなのか?
ゆっくり考えてみてね!!