過食症克服の記録

非嘔吐過食を克服しました。まさかの結末すぎて泣きながら書いてます。【摂食障害】

こんにちは、ももかです!

私はずっと生きづらさを抱えていて、4年かけて解消しました。

ですが、生きづらさを解消してからも、なかなか手放せなかったものがあります。それが、最後の難関として残った【非嘔吐過食】でした。

(非嘔吐過食は摂食障害で、吐かない過食症のことです。)

2018年5月ごろから、本気で克服しようと心に誓い、2019年に入ってからは当ブログでも経過を報告してきました。過食症克服の記録

この度、8年以上一緒に戦ってきた【非嘔吐過食】を克服したと、心から言えるようになったので、みなさんにご報告します。

なんだか、大親友と別れるような不思議な感覚があり、所々理性に欠ける書き方になってしまうかもしれませんが。

いまの正直な気持ちを、記録として残そうと思います。

摂食障害は、国が指定する難病のひとつです。

関連する情報を目にしただけで症状が誘発される可能性があります。

・しばらく症状が落ち着いている方

・医師の治療を受けながら生活している方

などは、本記事を読む際は慎重にお願いします。

「だったら書くなよ」と思われるかもしれませんが。

いま苦しんでいる人へ、少しでも「明るい未来を迎えた人がいるんだ」という事実を届けたい思いもあり、書くことにします。

非嘔吐過食、克服のときは突然に

非嘔吐過食の克服を迎えた瞬間は、想像していたよりもアッサリと訪れました。突然、「もういいや。」と思ったんです。

経緯を詳しく説明しますね。

先日、私は誕生日で家にはたくさんご馳走が用意されました。大好きなケーキも、たくさんあります。

食べること自体への罪悪感や抵抗感は、ここ数年間でほとんどなくなっているので。ケーキも気にせず、たらふく食べました。

私の傾向として、1度お腹いっぱい食べてしまうと、1日で気持ちと体を切り替えることが苦手で、2〜3日はズルズルとお腹が空いていないのに食べてしまうんですね。

今回も、いつものようにペースを戻すことができず、誕生日の夜から丸2日ケーキの残りなどを、お腹が空いていないのに食べていました。

食べながらも、頭の片隅では「またやってるよ。どうして、私はいつもこうなの?」と自分を責めようとする、もう一人の自分が顔を出します。

最近は、自分を肯定する思考が身についているので、即座に「自分を責めるようなこと考えちゃダメ。そのままを受け入れなきゃ。」とフォローを入れます。

まるで、漫画やアニメでよく見る、頭上で天使悪魔が口論するシーンのようです。

お腹が空いていないのに、食べたくないのに食べてしまうときは、いつも天使と悪魔が衝突してました。

思うように食べられない私がいても、いいんじゃない?

いつものように、天使と悪魔の葛藤を眺めていたのですが、今回は新たな展開がやってきたのです!

なんと、新キャラが出てきて、突然「たまには、思うように食べられない私がいても、いいんじゃない?」と言い出したんです!

(実際キャラとかないですけど。頭にフッと言葉が浮かんだ。)

新キャラは、淡々と続けます。

誰だって、うっかり食べすぎることもあるし、目の前に好きなものがあったら手を出しちゃうでしょ。

この言葉が浮かんだ瞬間、突然頭を覆っていた霧が晴れたように、目の前が開けた感覚になりました。

え、何それ。こんなアッサリ終わるの?

と、戸惑いと開放感でプチパニック。

すると、自然と「もういいや。」という言葉が、下っ腹の辺りから喉の方に向かって、ポコっと湧いて出てきたんです。

ダメな自分を認めるより、責める方がラクだから

終わった。私の問題が、全てなくなった。最後の砦として残っていた過食症も、ついに手放すときがきた。

「卒業したんだな」そう、思いました。

今回、非嘔吐過食を克服したと心から納得できる状態になって、気づいたことがあります。

私は完璧主義なので、妥協してダメな部分を認めるよりも、自分を責める方がラクだったんです。

  • やろうと思ってもできない自分がいてもいい
  • ついつい楽な方に流れてもしょうがない

そうやって、いまの状態を認めることより、自分を否定して責め続けて改善しようと努力する方がラクなんですね。

「しょうがない」「そんなときもある」というのは妥協や甘えだと考えていたので、改善の努力をやめることは完璧主義が許さなかったんです。

私の本音は、【完璧を目指して頑張る理由のために、過食症が治らない方が都合が良い】だった。

だから、ブログに書くときも、ずーっと「あと20%くらい」と言い続けてきたんです。

20%がなくなってしまうと、私が頑張るものがなくなってしまうから。

克服した姿は想像よりもユルユル

ずっと想像していた過食症を克服した人は、衝動的に食べることもなく、いつも理性でコントロールできている姿だった。

食べすぎることもなく、ダラダラ食べることもない。

ところが、実際は想像の真逆でユルユルでした。

夜中に急にお菓子が食べたくなって、我慢できず食べちゃうこともある。

1個だけと思っていたのに、気づいたらたくさん食べちゃうこともある。

ストレスが溜まってやけ食いすることもあるし、長期休暇や旅行では、リズムが崩れて食べすぎることも当たり前。

なんだか急に、「あれ?いま私が悩んでいることって、ごく当たり前の普通のことなんじゃないか?」と思ったんです。

ずっと一緒に過ごしてきたから別れるのが寂しい

私は8年以上一緒に過ごしてきた非嘔吐過食と、別れるのが寂しかったんです。

一緒にいる時間が長過ぎて、もはや一体化しているようでしたから。

たくさん苦しんだし、お金も時間も体もつぎ込んで、どんどんボロボロになって。それでもすがっていました。

いまのままでは、私は幸せにならないとわかっていたけど、つらいときは、いつも助けてくれたから。

仕事がうまくいかないとき。気持ちを伝えられなかったとき。不安なとき。

過食しているときは、つらい現実を忘れることができました。

翌日消えてしまいたいくらい自分を責めるとわかっていても、やめられませんでした。

「やめたいのに、やめられない。苦しいのに、やめられない。」

普通じゃない、やめたいと思いつつ、心のどこかでは

「私より重症な人はいる。私はそこまで悪くない。ストレス発散として一緒にいるのだから、必要なものなんだ。」

と、行為を正当化して、本気で離れようとしませんでした。

でも、もう終わりにします。というより、終わりでいいや。もういいや。

これから先、うっかり食べ過ぎて罪悪感を持ったとしても。思うように切り替えできなくても。

もう、私に非嘔吐過食は必要ない。

まとめ

長い長い長い、出口の見えない迷路。

ずーっと彷徨い続けた暗闇が、ある日突然消え去りました。

これでもう、本当に人生の半分を支配していた「依存」と「障害」が全てなくなりました。

この記事を書いている途中、何度も涙が出ました。何度も脱力感に襲われました。

まるで、卒業式の次の日のような感覚。

「あれ、学校行かなくていいのか。みんなと、いつもみたいに会うことはないのか。」

昨日まで、当たり前のように隣にいて、ケンカしたり笑ったりしていた友達と離れ離れになるような。

私は新しい場所で、新しい友達を見つけるよ。

寂しいけど、一緒に過ごした日々は忘れないからね。

ありがとう。