雑談

仕事の執着、親のエゴ、人生の「こだわり」

有刺鉄線

前回の記事お金稼げないあんたなんてくずよで、自分の価値観の外側にあることを体験しようと、370円のラーメンを食べた話をしたね。

汚いラーメン屋さんで、暖かい愛情たっぷりのラーメンを食べ、お金と愛情の価値観が180度覆されたの。

今回は後編!

さらに思考を展開させて、仕事に執着するきっかけを振り返ったら、両親のことが浮かんだ。

結果、気づいたのは「親のエゴ」「人生のこだわり」について。

時間軸は370円のラーメンを食べて家についたときってイメージしてね。

前回のあらすじ

本編に入る前に、少しだけ前回の内容を振り返ってみよう。

370円のラーメンを食べて、色々気づいた私はこんなことを考えた。

結局、稼げない自分には価値がないと思っていた。

だけど、お金がない現実を認めてしまうと、価値がない自分を認めることになる。

自分の力で生活できることを、両親に証明しなければ。

私は1人でできるんだよ!ほら、ひとりでできたでしょ!すごいでしょ!自立しているでしょ!もう立派な大人だよ!すごいね、成長したね。大人になったね。ひとりでできたんだ。

そうやって両親に認めてほしかったし、安心してほしかったんだ。

お金がない=稼げない=仕事できない=価値がない

という図式ができあがっていたことに気づいたの。そして、稼げない自分には価値がないと思いつつ、何かに愛情を注いだ感覚もわからなかった。

それでは、私の思考の続きを見てみよう!

親の言う通りにしていれば、ずっと可愛がってもらえる

そもそも、なんでこんなに「仕事」に対して執着していたのかな。

私の中で、ずっと心に残っていることがある。お姉ちゃんが高校を卒業する時期になると、毎晩リビングで父の講義を聞かされた。

社会で成功するために必要なことを延々と話していた。

「これなら食いっぱぐれない」が、父の口癖だった。

私の中には父から聞いた成功のノウハウがこびりついて離れなかった。ある意味洗脳を受けた結果、いい子に食いっぱぐれないノウハウを実行しようとした。 

ガツガツ仕事することがいいことだと思ったし、社畜になることが社会人のルールだと思った。 

父を悲しませないため?母を心配させないため?

両方あるけど、いちばんは反抗して怒られるのが怖いから自己主張しないだけ。それじゃ、ただのビビリじゃない。

親の言う通りにしていれば、怒られることはないし、悲しませることもない。ずっと可愛がってもらえるし、かまってもらえる。

反抗して怒られたら、かまってもらえない、可愛がってもらえない。

そしたら私、生きていけない。

父や母がいなかったら、支えてくれなかったら、私は生きていけない。

そっか、次はふたりが悲しみそうなこと、怒りそうなことをしてみよう!

何もいらない。何かになろうとしなくていい。

大きな業績もいらないし、賞賛も注目もいらない。誰かに褒めてもらわなくてもいい。

ただ、私が私で生きること。

誰の人生でもなく、自分の人生を生きること。それだけでいい。高級マンションも、ブランド品も、たくさんの洋服や化粧品も、いらない。

褒められることも、すごいねと言われることも、他人と違うことをしなくてもいい。みんなと一緒でいいし、個性がなくてもいい。

人生に「こだわり」なんてない

考えてみれば、私の人生全部、普通だった。全国大会に行ったとか、有名大学に入ったわけでもない。

もらった賞といえば、中学の部活で地区大会2位になったこと。小学校もずっと地区大会2位。大学も3流。

仕事の成績も良かったわけじゃない。飛び級みたいに出世したことくらい。でもそれも、自分の器に合わなくてリタイアした。

接客も、売上で大きな記録を残したわけでもない。

かといって、ホームレスになるとか、借金数千万とか、男に騙されまくるとか、目に見えて不幸という経験もない。

人生全部、普通で中途半端だった。本気で何かを成し遂げたことなんてなかった。

これがやりたい!ってこだわりもなかった。

「誰に何と言われても、私はこれがやりたいんだ」っていうものがない。

「すごいね」と言われたい父「ありがとう」と言われたい母

私の人生に対して「こだわり」と言えることは、

  • 両親の期待に応えること
  • 波風立てず、平和に人間関係を作ること
  • 自己主張せず、嫌な顔もせず、笑顔でいること
  • その場をやり過ごすこと
  • すごいねと言われること
  • 他人と違うことをすること
  • でも、批判されたくないから、違うことをしたいと思っているだけで、実際は普通に生活していること

両親は、私から笑顔がなくならないか、いつも心配した。母は姉にかまいすぎて、私に寂しい思いをさせたことを後悔している。

母にできることは、子供達を応援することだから。

やりたいことをできる限り応援する。味方でいると伝える、辛くなったら、いつでも帰ってこれるように見守る。それが母親の役目だと思って。

父は次男で面倒を見てもらう方だった。社会に出て、家族を養って出世して。

「すごいね」って父も褒められたいのか。かまってもらえないと拗ねるのも、注目されていないと、自分の存在がなくなってしまうという不安があるから。

母は「ありがとう」と言われたいのか。かまってあげる対象がいないと、自分の存在がなくなってしまうという不安がある。長女で、弟の面倒を見ることで褒められてきたから。

心を満たす言葉を引き出すために子供を使う

そっか、人によって言われたい言葉が違うのかも。心を満たされる言葉が人によって違うんだ。

母は、すごいと言われるより、「ありがとう助かった」と言われたい。父は、ありがとうより「すごいね、さすがだね」と言われたい。

心を満たす言葉を引き出すために、子供を使っていたのか。

母の愛情表現は、ものを与えたり、行動のフォローをしたり、声援を送ったり。

それをしないと、誰かの面倒を見る自分がいなくなるから。子供や夫の面倒を見ない母親になることが怖くて不安。だからそれをしないと、自分の価値がなくなると思っているんだ。

父の愛情表現は、自分の経験を伝えたり、自分の世界を見せること。

「俺が実現させたこの経験、すごいだろ!こんなことも知ってるのすごくない?」とプレゼンすること。それをしないと、褒めてもらえないし注目されないから。

そして、私は両親という「ふたりの人間」の期待に応えないと、生きていけないと思っていた。

母の愛情を受けたいから、弱さを求めた。

応援してほしいから、頑張ってるアピールをしたり、ちょっと不安になるとすぐ相談したり。かまってちゃんになることが、母への愛情表現だった。

父の愛情を受けたいから、成果を求めた。

すごいと言われる職業について、仕事のできる社会人になろうとした。これだけ頑張っているよ、こんなに評価されているよと伝えることが、父への愛情表現だった。

無意識に両方の望むことを感じ取って応えることで、両親への愛情表現をしていたのかもしれない。

というより、そうしないと生きていけない、見捨てられる、自分の命が危ない、と思っていたから。

親が望むことをしなくていいなら、私は何をする・・・?

こうして気づいた今、ここから、私は私の人生を歩むんだ。

人によって愛情表現が異なることがわかった。そして、愛情表現とは、自分の存在を確認する行為であることも。

何も求めない。評価も、実績も。ありがとうと言われることも、誰かの面倒を見ることも。

ちょっと待って!!!

だとしたら、私は何をすればいいの?私には何も残らない。

本当に?本当に何も残らない?

評価も、実績も、すごいねといわれなくてもいい、ありがとうと言われなくてもいい。笑顔でいなくてもいい。

親が望むことをしなくてもいい。だとしたら?

私は何をしよう・・・

何もしなくていい。何も。何かをしようと思わなくていいのか・・・

まとめ

今回は前編と後編の2回にわたって、仕事とお金の考え方から親への感情に気づいたお話をしたよ。

今振り返ってみても、親からの「愛情」という名の洗脳って本当に怖い。

本人たちも気づかないうちに、心の奥深くに浸透していく。

ホラー映画の落ちみたいに、「本当は意識不明の植物状態で、現実のように見えた世界は全部夢の中でした」っていう感じ。

私が親のエゴに気づいたとき、まさに夢から覚めたような気がしたの。

これを読んだ人が、少しでも何か気づくきっかけになりますように。

それじゃあ、またね。