生きづらさ解消

頑張って頑張ってボロボロになっても、人生に達成感がない

こんにちは、HSPHSSプロデューサーのももかです。

生きづらさを抱えていたときは、いつも頑張って努力するのに、心身ともにボロボロになって、何も達成できずにリタイアしていました。

どこか自分が劣っている気がして、周りが眩しくて。

あるとき、ふと「私の人生、なんで空回りばかりなのかな?」と考えてみたら、困難に耐えて努力して何かを手にした経験がないから、だと気付きました。

そこから、どうしたら人生に達成感を持たせることができるのか、研究と実践をしてみて、わかったことをお話しします。

困難に耐えて努力して何かを手に入れた実感がない

私はずっと「人生にシックリこない感じ」を抱いて生活していた。

友達もいたし、彼氏もいたし、就職もできた。でも心には、いつもポッカリ穴が空いていて、友達も彼氏も、本当の私を理解してはいないと思っていた。

いつも何かに怯えていて、来るかもわからない未来のことを考えて怖くなって、失う前に自分から遠ざけていた。

友達に拒絶されるのが怖いから、不満が芽生えたら縁を切る。彼氏の気持ちが冷めるのが怖いから、心から好きにならないようにして、付き合っても距離を取る。

人間関係で埋まらない寂しさは、仕事に求めた。

仕事で評価され、誰もが「すごい」という実績を作れば、居場所が手に入ると思った。管理職になって、輝かしい肩書きを持てば、人との繋がりが持てて、寂しさから開放されると思った。

どうすれば出世できるか、どうすれば成果が出るか考えて、「苦しい、つらい」と叫びたくなる衝動を何度も抑え込んで、毎日必死に仕事をした。

高校生のとき、それまで自信のあった、部活も勉強も全く通用しなくなって、おまけに生きる気力さえ失って、無力な自分を痛感したから。

何もできない自分に戻ることを恐れて、何かしなきゃ、何か成し遂げなきゃと、前だけを見て走っていた。

いつも頑張って、いつもボロボロになって、いつも心と体を崩す。「私にはもう無理なのかも」と思いつつ、心のどこかで「いつか何者かになれるはず」と期待をして、理想の仕事を追い求めた。

平凡は飽きるけど眩しい

頑張って、頑張って、ボロボロになる。

それなのに、人生に充実感はなく、何も手に入れていない焦りや物足りなさが消えない。次第に、自分の思考が信じられなくなって、物事を決めるのが怖くなった。

「また、間違えてしまうかもしれない。」「私は、自分のことがわからない。」そんな、自分に対する不信感ばかりが募って、新しい仕事を決めることも、働き続けることもできなくなった。

新卒で入社して、1つの会社で働き続けている人を見ると、とても羨ましく感じた。私みたいに、過呼吸になることもなければ、救急車で運ばれることもなく、トイレで泣き続けることもない。

普通に、ただ普通に、みんなみたいに笑って、ときどき泣いて、一緒に協力して、人から「ありがとう」と言われて心震える。そんな風に働きたいだけなのに。

平凡な日常に飽き飽きするけど、平凡がとても眩しく見えて、矛盾している自分に腹が立つ。自分がどちらに行けば幸せなのかも、わからなかった。

達成感のある人生

今ならわかる。人生に達成感が持てなかったのは、全部心から、正直な気持ちで求めていることじゃなかったからだ。

本当にやりたいことは、巧妙に無意識の中に仕舞い込んで、「親が納得してくれそうだから」とか「世間的に受け入れてもらえそうだから」といった、人の目を気にした選択をしていたからだ。

自分が本当に望んだものではないのだから、手に入れても達成感がないのは当たり前だ。

いつのまにか、自分の気持ちは優先順位の2番目で、周囲の人の期待に答えることが最優先になっていた。自分の本音は見て見ぬ振りして、他の誰かの気持ちに必死に答えようとして、ボロボロになっていたのだ。

人生に充実感を持てなかったのは、操り人形だったから。

当時は、誰かの価値観をコピーして再現していたなんて知る由もなく、全部「自分で決めたんだから、後悔しない」と言い聞かせていた。

自分が操り人形だったと気付いてから、洗脳を解くために、少しずつ本音を探して心の声に素直になってみた。そして今は、自分の意思で「やる」と決めたことを続けている。

すると、どうだろう。

誰に評価されなくても、思うように結果がでなくても、努力してきた自分を愛おしく感じるようになった。

体力的につらいときや、精神的に落ち込むときもある。それでも、操り人形だった頃のように、先の見えない真っ暗なトンネルの中で、がむしゃらに手足をジタバタさせるような、息苦しさは感じない。

友達にブログの話をしても、全くピンと来ていない顔をされるけど、「共感されないから寂しい」とは思わない。だって、ブログやSNSは、私が「やる」と決めて続けてきたことだから。

自分を犠牲にして頑張る方が安心する人たち

いま、私は思う。苦しいことや嫌なことを我慢して、必死に耐えたからといって、必ずしも達成感や充実感が得られるわけじゃない。

やらされ感がある限り、辛いことや上手くいかないことは、どれだけ頑張っても「なんかシックリこない」のだ。

心が丈夫な人は、「そんなの当たり前じゃん。嫌ならテキトーに手を抜いて、怒られない程度にやり過ごせばいいんだよ」なんて言うだろう。

わかってないな。

心が常に不安と恐怖に晒されている人もいるんだよ。そういう人は、「頑張らない自分には価値がない」なんて考えちゃうんだよ。

たとえ、自分が心から望むことじゃなくても、自分が頑張ることで誰かが喜んでくれるなら、本音なんて押し殺して頑張っちゃうんだ。

手を抜く、休憩する、言い訳する、これら全てが『甘え』だと感じて、常に120%フルパワーで取り組まないと、「ダメなやつ」とか「役立たず」と言われないかと、不安で不安でソワソワする。

世の中には、手を抜くよりも、自分を犠牲にして頑張り続けるほうが安心する人もいるんだ。でも、そういう人は残念ながら、人生に充実感は持てない。だって、歩いているのは誰かの人生だから。

自分の足で立って生きることは怖いけど、どうやら、「転ぶリスク」と「充実感」はセットでやってくるみたいだよ。

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