生きづらさ解消

理解の壁に悩むオタク女子。『才能』『能力』という言葉が嫌い

こんにちは、ももか(@momohsphss)です。

最近は、自分の立ち位置(役割)について考えることが多く、その一環として、リーダーな私の人生というシリーズを書きました。

リーダーな私の人生①「できる人と言われたくない」 こんにちは、ももか(@momohsphss)です。 このシリーズは、私の『リーダーポジションが流れ着く人生』を振り返っていくもの...

書くことで「リーダーとして悩んだ経験が、私に何を教えてくれたのか」が見えてきた気がします。

そこで、編集後記のような感じで、今感じていることをまとめようと思います。

リーダーな私シリーズ未公開エピソード

リーダーな私シリーズは、もっとたくさんリーダーとしてのエピソードを書く予定で始めました。

  • ダンスサークルで、振付師のポジションを争ってトラブった話
  • 人事部と若手の交流会を開催した後、後輩の女の子と同期の男子からグループLINEでフルボッコにされた話
  • 昇進する前後で態度が変わって、恩着せがましくなるベテランおじさんの話
  • 謙遜してヨイショする振りして、あからさまに拒絶する20歳年上の女性の話

などなど。

その1つ1つを詳しく話して、「私はこんな苦しかったんだよ」と、思い出話がしたかったんです。

当時の誰かを責めるとか「あいつのせいで」みたいな気持ちはなくて。

ただ、寂しかった、苦しかった、つらかった、という話をしたくて。そしたら何か昇華されるんじゃないかと思っていました。

『個』の小学校と『組織』の中学校

ところが、実際アウトプットしてみたら、全然違う気づきを得ました。

それが、私がこれまで多く悩んでいたのは、

  • 自分のやっていることを人に共有することの難しさ
  • 相手が求めているものを差し出すことができない、自分への苛立ち

でした。

そして、私のリーダーとしての悩みの根本は、小中学生のバレー部の経験から始まったんだと。

小学校までは『個』が強くあります。(ゆとり世代というのもあるけど)

マラソン大会などで順位が付くことはありますが、テストの成績で順位がつけられることはない。

興味のあることを追求するのは、放課後のクラブ活動。

ところが、中学校になると、「先輩」「後輩」が登場し、成績で順位を付けられ、受験という評価のための勉強が始まる。

純粋な好奇心で動けていた小学校から、組織的で周りとのバランスを考えなければいけない中学校に移行したとき、窮屈だなと思いました。

先行者利益の後ろめたさ

私は小さい頃、習い事をたくさんしていて。

英会話、そろばん、ダンス、水泳、バレーボール。そのどれもが、なぜ始めたのか覚えていません。

いつも自分の明確な意思によって掴み取ったというより、流れ着いた先で与えられた役割が『リーダー』だったという感覚です。

唯一、バレーボールは年子の姉が「やりたい」と言って見学に行き、私もやりたい!と言いだしたと記憶しています。

それで、本当は対象年齢小学3年生以上のところを、「お姉ちゃんとセットなら」という条件で、小学2年生の私も入れてもらえたんです。

だから、同学年の子が始める頃には、私は1年多く経験を積んでいて。

こういう現象は、私の人生に度々起きます。いつも【先行者利益】を得る側になるんですね。

英会話は幼稚園の頃から習っていたので、学校の英語の授業はつまらなかったけど、感覚だけで中3のとき英検準2級を取りました。

バレー部で部長になったのも、小学生の頃からやっていて、スタート時点で1歩抜き出ていたのが大きかったと思います。

大学1年生のとき、ダンスサークルでセンターポジションになれたのも。営業会社で3年目で昇進できたのも。

先行者利益なんだと思っています。

経験者として1歩前に出た状態になることは、私だけの特別なエピソードではないけど。

でも、私の場合は、さらに人のペースを気にせずどんどん動くから、目立つんでしょうね。

みんながやらないことを見つけて、試しにやってみる。気づいたら、「長」がつくポジションに任命されている。そんなことの繰り返しです。

たまたま、人より早く経験していただけ。だから、先行者利益で評価される後ろめたさもありました。

理解の壁に悩むオタク

オタクの宿命というのか。

人に注目されずに、自分だけが気づいていて、誰に求められるでもなく、その問題を研究できる時間が、とても楽しくて。

その世界に人が入ってきて、注目され出して、「私のもの」から「私とみんなのもの」になる。そして、私はつまらなくなって離れるの繰り返し。

趣味の世界なら、人が入ってきて嫌なら関わらなければいいし、飽きたら次に行けばいい。(元ジャニオタ。ガチ勢)

でも、成果を求められる組織となると、そうは言ってられません。

人と共存することが求められるし、意図を伝えないといけないし、いつも『理解』の壁にぶち当たるんです。

私が今やっていることや、過去にやってきたことを、人に伝える。

  • わかりやすいように
  • やりやすいように
  • 再現できるように

でも、いつももどかしくなります。

私の見ているゴールと、相手の求めるゴールは違うし、私の尺度で見たときの『理解した』と、相手が消化できる『理解』の尺度が違うから。

リーダーな私シリーズを書いて、バレー部での経験を再体験したら。私はずっと『理解の壁』で、もがいていたのだと気づきました。

想像以上に人は変化を求めない

私の目指したい姿、理想とするところ、そこに行くための手法は、自分だけなら、実現できるし、成果も出せます。人より一歩前に出れる。

だけど、そのやり方を人に共有するとなると、共通言語が必要になるし、相手のペースにも左右されます。

それで、最近気づいたのは、やっぱり、私の欲しているスピード感は、多くの人とは違うんだってこと。

きっと、私が想像している以上に、人は行動しないし、変化を求めていない。

そこがわかっていなかったから、「伝わらない」「理解してもらえない」と思っていたんだなって。

私は、行動することでしか変化を得られないと思っているし、変化への興味がものすごく高い。それは、自分に対してもだし、人に対しても。

何がどうなって、どう動けば、どんな変化が生まれるのか。机に座って知識を入れるだけじゃなく、自分で実際に体感してみたい。

だから、企業に潜入してリアルな『人の人生』を観察できるのが楽しくて、派遣はネタ集めに最適だと思っています。

認知の世界と相対性理論

私は、数字を覚えるのが苦手で、2桁の暗算もできないくらい、ど文系で。英語の成績は5段階で5だったのに、数学は2でした。

でも、大人になってから興味をそそられて魅力を感じるのは、物理や量子力学の世界。

数式を覚えることは苦手だけど、世界の現象を説明する物理の考え方には、ファンタジーを感じます。

アインシュタインさんの相対性理論は「認知」に繋がっていると知った途端、急に興味を刺激されました。

人によって感じる時間感覚が違うというのは、同じ事象でも人によって見ている世界が違う、ということ。

とても面白い。

同じように、私はとても『人の見ている世界』が知りたい。

この人が見ている世界は、私の見ている世界とは違うのか。

じゃあ、どんな世界を見ているんだろう?

何を感じて、何を考えているんだろう?

そんなことを想像すると、目の前の人に憑依した感覚になって、思考や感情を追体験できるんです。

私の人生の大きなテーマは、人の才能について考えることかもしれません。

つまり、才能の活かし方です。

人の才能を活かすには、自分の才能に気づく必要があります。

「あなたは、どんな能力を持っていて、何ができるのか」

これを見抜くには、

  • 立ち位置の違い
  • 見えている世界の違い

を知らないと、人に伝えることはできません。

『才能』『能力』という言葉が嫌い

ずっと、『才能』『能力』『天才』という言葉が嫌いでした。

才能だとか、能力だとか、わざわざ欲しがる人の気持ちも理解できませんでした。

「こっちは振り回されて、苦しんでいるのに、なんで強調しなきゃいけないの?」なんて、思っていました。

天才の育て方とか、タイトルにしている本もあるけど。

天才は、本当に天才であることを望んでいるのかな。天才の能力を消したいと思っているかもしれない。

っていうか、普通になりたいとさえ思っているのに、その能力をわざわざ他人が勝手に伸ばすなんて、天才にとっては残酷な現実なんじゃないかと、思ってしまうんです。

才能だってそう。

今はあまり見かけないけど、4~5年前のHSPに関する記事は、「繊細さは、あなたの才能です」とか書かれていて。

才能で振り回されて、傷ついて苦しんでいるのに、「そう言っておけば特別っぽい」みたいな意図を感じて、すごく嫌でした。

私を苦しめるのが才能なら、消えてなくなって欲しいとさえ思っているのに。

特別になんてならなくていいから。突き抜けなくていいから。ただ、理解してほしい、感覚をわかってほしい、穏やかでいたい。

それだけなのに。もてはやして、注目して結局「理解できない」と離れていく。

『理解する』とは、どういうことか?

私が中学生から悩み続けたのは、リーダーというポジションを通して、

  • できることの違い
  • 価値観の違い
  • 行動の違い

を知って、人が個性を発揮するために必要なことを研究するためだったのだと、最近は思います。

その結果、世の中には「嫉妬心」「劣等感」を強く抱きやすい人と、「孤独感」「不信感」を抱きやすい人の2種類がいるんだと知りました。

人によって、中心に置く(優位になりやすい)感情が違うんですね。

そこを踏まえて、できることを見ていくと、本当に一人ひとりに素晴らしい面があって、その事実に本人が気づく瞬間を見れると、魂が震える感覚すら覚えます。

私は「理解する」「理解しあう」のハードルが高かったんですね。

相手が私と同じになること、もっと言えば「私になること」が「理解する」だと思っていたようです。

だけど、結局人は自分以外にはなれないのだから。その人の世界で理解することしかできない。

みんな、私みたいにスピードを求めていないし、行動を求めていない。人は私が想像しているほど行動しないし変化もしない。

それは、私が特別偉くて優秀で、周りのレベルが低いと言いたいわけではなくて。

ただ、生きている時間軸が違うだけ。まさに、相対性理論です。

私には時間軸が存在しない。昨日も今日も未来も、「いま」なんですね。

ずっとずっと、違いに気づかず、「理解してよ!」「なんでわかんないの?」と思って、寂しくなっていたけど。

みんなが私になるように努力するのではなく。

私がみんなの世界にお邪魔して、みんなが理解できる言葉で、みんなが必要としているものを、私にできる表現で伝えればいい。

ここ数年、HSPを通して自己理解を深めたのは、「人のことばかり考えてないで、自分のことも考えなさい!」というメッセージだったのかな。

だって、自分のことがわからなければ、人のことなんてわからないから。

色々と自分と向き合ったら、概念としての人ではなく、生身の人間を知ることができる。

そして、私はずっと「それぞれの力を発揮して、みんな仲良く暮らせる世界」を望んでいて、実現のために悩んだり壁にぶつかったりしているんだと、薄っすら感じ始めています。

とりとめもない長文でしたが、読んでいただいてありがとうございました。

HSPHSSライフスタイルラボ