転職ジプシー時代の話

4年で生きづらさから脱却〜HSPHSSの物語②「隠したい過去が大事」

この物語は、ももかが生きづらさから脱却するまでの軌跡をまとめた記事だよ。

前回のお話はこちら

4年で生きづらさから脱却〜HSPHSSの物語①「自分を変える決意」

今回は、2016年に初めてフリーランスになったときの話をするね。

振り返ってみたら、起業したいと頑張っていたときが、いちばん自分と向き合った時期だった。

前回のあらすじ

2015年、本気で自分を変えようと決意してアダルトチルドレンのカウンセリングを受けたよ。

苦手だからと逃げてきたことに、正面からぶつかっていくことにした。

男性に弱音を吐いたり頼ることが苦手だったから、あえて男性カウンセラーを選んだり。

父親に手紙で自分の気持ちを伝えてみたり。

それから「感情」と「行動」を結びつける練習もした。

半年〜1年くらい続けていると、自分のことを大切にしたい気持ちが芽生えてきたの。

自分の愛し方がわからない

アダルトチルドレンのカウンセリングも終わり、私はなんとなく「自分のことを大事にしたいな」と思い始めてきたところだった。

だけど、「大事にする」「愛する」っていう感覚がわからなかったの。

とても愛しい存在なのに、愛し方がわからない。

どうしたら私は喜ぶの?

そうだ。

私は私の喜ぶことをしよう。

私の声を聞いてあげよう。

イライラ、ワクワク、ドキドキ、ぐーたら…

全部聞いてあげよう。

2015年の日記より

この頃から、自分の内側の声に耳を傾けるようになった。

起業塾で心療内科に通った経験を話して号泣

2016年1月に、イメージコンサルタントになるための講座を受けてた。ファッションの仕事で食べていけるようになりたかったの。(詳しい経緯は割愛)

その後、2016年9月に起業塾に参加したとき、初対面の人に心療内科に通った経験を暴露した。

気づいたら号泣してて、自分でもびっくりしたの。だけど、この経験が私の人生を大きく変えることになる。

適応障害になった過去を消したかった

適応障害で心療内科に通院した経験は、胸にしまってお墓の中まで持っていくつもりだった。

起業塾で暴露するまで、本当に仲の良い友達数人しか話してなかったの。

ももか
ももか
メンタル病んでしにたいと思ってて、精神安定剤飲んでました

なんて話したらさ、やばい奴だと思われそうじゃない。

私は気を抜くとすぐカッコつけたくなっちゃうのね。笑

というより、努力してますアピールをしたいと思わないタイプ。実はすごく考えて情報収集して、たくさん試行錯誤してるけど人には見せない。

結果重視の男性脳だからというのもあるかもしれないけど。

だから、私のプライドが許さなかったんだと思う。自分に対してなんでもできるイメージを持っていたから。

精神安定剤飲む心の弱い子って思われたくなかった。「できた」という結果を出している姿だけ見せていたかったの。

私の人生は「心療内科」と「心理学」

ところで、なぜ起業塾で心療内科に通った経験を暴露することになったのか。

講座には付箋ワークというものがあって、30分間自分に関するキーワードをひたすら書き出したの。

過去を振り返って、「私といえば〇〇」と連想するキーワードを思いつく限り並べていく。

土地名、人物名など100個くらい書いた。最後に、自分の人生を作る中で特に重要なものをピックアップすると、こんなキーワードが残ったの。

  • 家族
  • カラーセラピー
  • 心理学
  • 過呼吸
  • オシャレ
  • 友達

他にも、心療内科のあった地名、適応障害だと知っている友達、カラーセラピーの先生の名前が残った。それを見た講師から

講師
講師
これを残した理由を説明してください

と言われて、私はこう説明した。

高校生のときに、適応障害になって心療内科に通いました。

その原因のひとつに、家族とうまくコミュニケーションが取れないことがありました。

心療内科の最寄りの駅が〇〇〇です。

コミュニケーションや人間の心について勉強したいと思って、大学では心理学を専攻しました。

不安になると過呼吸になって、救急車で運ばれたことが3回くらいあります。

大学生になって、ここに書いた3人の友達に出会って適応障害のことを打ち明けました。

友達の前で過呼吸になっても、そっとフォローしてくれて、この友達のおかげで大学生活はとても楽しかったんです。

私がキーワードについての説明をしている横には、初対面の生徒さんがいた。

初めて、初対面の人に心療内科に通った経験を話したの。

人前で本音のスピーチ

起業塾の講座の最後に、理念や動機をまとめて5分間くらいスピーチしたの。

そのときに、私が発表した内容の一部を紹介するね。

私は、いつも笑顔で良い子でいなきゃと思ってきました。

高校生になり、部活も勉強もついていけなくて、周りは可愛い子だらけで。

何もできない焦りと孤独感で自信を無くしました。

そんなとき、母の浮気が発覚して家にはピリピリした空気が流れていました。

誰にも相談できず適応障害になり、心療内科に通いました。

体型がコンプレックスで、家族も嫌いになったときに、ファッションに出会えたことで自信を取り戻すことができました。

見た目を変えることで外出することが楽しくなり、ワクワクすることが増えたからです。

言葉で自分の気持ちを表現するのが苦手な分、目で見て「どんな人か?」「何を考えていて、何を伝えたいのか?」というのが伝わるファッションの力を肌で感じました。

講座中のスピーチ用メモより抜粋

話していたら、自然と涙がこみ上げてきて。みんなの前で泣いてた。

消したい、隠したいと思っていた過去が、実は自分にとって大事な経験だったことに気づいたから。

自分を探すヒントは隠したい過去にある

生きづらさの原因のひとつに、自分が何者か定義できないことがある。

この「自分を定義するヒント」が、人には絶対言いたくない、隠したい過去にある場合が多い。

個別セラピーでお話を聞いていても、性格や価値観を作っている核になる経験は、本人も気づかないくらい巧妙に隠してる。

自分の定義なんて、自分で決めていいんだけどね。

どうしても、何か成し遂げないと自分について語っちゃいけない気持ちになる。私はそうだったの。

4年前の私は、心療内科に通った経験をネットで公開するとは夢にも思っていなかったの。

挫折した経験を隠して、カッコいいところだけ見せたかったから。

「まともに高校に通えない経験をした私は、本当の私じゃない。もっとカッコいい私がどこかにいるはず」

って思ってた。

だけど、あのとき生きることを諦めずに頑張った自分のおかげで、今の私がいる。

高校生の私には病気になることしか、自分を守る方法を知らなかっただけ。

頑張ってた自分をなかったことにして「消したい」「隠したい」なんて、過去の私が悲しむよ。

何のために今頑張ってるのよ!ってね。

まとめ

自分を大事にしたい気持ちが湧いてきたのに、愛し方がわからなかった。

思いがけず、消したい過去を初対面の人に晒すことで「頑張った自分を認めること」が自分を大事にすることだと知ったの。

起業塾を受ける前は、オシャレにコーディネートして、自撮りアップして「可愛いですね」とか言われたかった。笑

本当は、写真を撮ることも撮られることも興味がない。

自分らしさの核になる部分に気づいた私は、一生の仕事にしようと思っていた「ファッション」に対しても違和感を抱き始める。

次回は、10年分の日記をブログに公開することで、「どんな私も存在していいんだ」と気づいたお話だよ。

お楽しみに。